或る日突然

2015年12月5日に大腸がんステージ4告知。肝臓と肺に転移あり。抗がん剤治療しながら日々のことを記録しています。

抗がん剤よりQOLを下げる50肩

前回のケモより10日経過で快調な日々、と言いたい所だけど、右肩の痛みが身体の動きを制約する。

手を伸ばせばグキっ!シートベルトを取ろうとしてもグキっ!服の着脱にも気を遣わないと酷い事に。

日焼け止めを首の後ろに塗ったりも出来ないし、お風呂で左の脇の下を洗うことも出来ない。

 

だからと言って人にその事を言った所で年取るとそんなもんだ、とかオレはもっと酷い50肩だった、などと聞かされるオチだから、鍼灸院の先生にしか辛さは訴えられない。

 

それで、これまでの私の身体の不調に対する自分の対処を辿ってみた。

やはり幼い頃の習慣が痕を引いてる。

 

明治生まれの祖母に育てられた私はどんなに熱が出ても学校を休ませてもらえなかった。どうしても行けない時は自分で歩いて学校に言いに行け!と家を追い出された。

そんな調子だったから、病気になっても医者に連れてって貰える事も無く、今でも記憶にあるけど、小学校3〜4年生の頃に高熱で一人で近所の医者に行って、待合室で待ってる自分の記憶がある。それでもその時代は医者も見てくれたんだろうな。追い返された記憶が無いので。

当時は歯科医も耳鼻科医も1人で行った記憶しかない。

そして仕事から帰った母親からは身体の様子より医者にかかってお金がかかる事を詰られて来た為、益々医者に行く事に罪悪感を抱くようになった。

 

一度小学校で足にケガをして帰った時もケガの状況より、学校でケガしたら学校が病院代払ってくれるから(ホンマかいな?)何で先生に言わなかったのか?と散々文句を言われた事もある。

 

まあそんな実用第一な母と底意地の悪い祖母に育てられりゃ、どんなに不調でもこんな位では医者に行く程じゃないと自分の身体を蔑ろにするようになっても仕方ないだろう。

 

自分が母となって初めて、我が親の方が異常であった事に気付いた。

熱が出りゃお金が無くとも医者に診せるし、無理矢理学校に追い立てた所で何のメリットも無い。余計に治りを遅くするだけだ。

まあそんな私を見て母は横から口出ししたりして来たが、自分の育てられ方を反面教師と出来るようになった私は、子供達には健康に留意する様にと子育てして来たつもりだが、やはり自分の事は後回しにして来たツケが今の状況なんだろうか?とか思う日々。